『宇治だより』 第49 平成5年7月1日
父に導かれて
生長の家 理事 教区運営管理室長 財務部長
生長の家宇治別格本山理事(当時) 松下 昭
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父に導かれて、初めて宇治別格本山に足を踏み入れたのは、
昭和四十一年八月十日のことでした。
父の供養のため、一般練成会を受講して身を浄め、
盂蘭盆大祭運営の奉仕をさせてもらったことが、
昨日のことのように思い出されます。
父は、肝臓癌との闘病生活の中で、
『生命の実相』を徹底的に読みこなし、
神想観を行じ尽くして永遠生き通しの生命を自覚されて、
昭和三十五年九月十五日未明に「病気はなかった。さあ会社に行くぞ。」
との言葉を最後に、現象世界での使命を終わり、
魂の高き境涯に進み逝かれました。
しかし、残された私達母子四人に対して、今に至るまで温かく守り、
導き、励まして下さっています。
私は、父が亡くなった頃から、
父に指導されるように“何となく”聖典等を手にするようになっていました。
「人生読本」「若人のための七八章」「生活讀本」
「光明の生活法」「ひかりの語録」「幸福を招く三六五章」「神誌」etc。
中学一年生で父を亡くしたことも影響があったのかも知れませんし、
単なる思春期の情緒不安定のなせる業か、
心に寂寞とした空間が広がり、それを埋めるように聖典等を読み進み、
高校二年の八月に、
富士河口湖練成道場の夏季高校生練成会に初めて参加しました。
その時、練成会を指導して下さいましたのが、
現宇治別格本山総務、楠本加美野先生でした。
若々しい楠本先生の天皇陛下の話、日本建国の話、
親孝行の話など、情熱溢れる御指導に大感激をして帰って来たことを
懐かしく思い出します。
その時を境に、生長の家なくしては自分の存在がないほどに、
人生がかわりはじめました。それから幾星霜、紆余曲折を経て、
昭和五十三年十一月住吉大神さまに呼ばれるようにして総本山に辿り着き、
龍宮住吉本宮落慶大祭の奉仕をさせていただく幸運に巡り会い、
私の人生は一層「生長の家」一色塗潰されてしまいました。
以後、平成三十年十月本部に異動を命ぜられるまで、
約十三年様々な素晴らしい体験を頂き、
更に昨年五月からは宇治別格本山の理事を拝命して、
宇治別格本山と楠本先生との深い神縁に再会し、
人生の不可思議さと神様の摂理の有難さに、
唯々感謝あるのみであります。
懐かしい宇治別格本山も、年々歳々その佇まいを変化させ、
特に新練成道場建設工事が始まって以来急速にその姿を変貌させ、
生長の家の新しい時代を感じさせています。
私も、自分に与えられた新たな使命を、
全身全霊を傾注して果たして参りたいと決意を新たにしています。