『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第48  平成5年5月1日 

  宇治の思い出
   生長の家 理事 「相愛会部」部長 相愛会総轄実行委員長(当時) 吉田 武利


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五年程前、生長の家本部に奉職させて戴くようになった関係で、
東京に転居してきた。
このため大好きな「宇治」を訪ねる機会がメッキリと少なくなり、
寂しい感がする。

大阪にいた頃はよく宇治に行ったものである。
近かったこともあるが、やはり宇治が好きだったと云うのが本当の所だと思う。

華やかな新春の初詣。厳しい寒さの中での末一稲荷神社初午祭。
夏の盛りに行われる盂蘭盆供養大祭。毎月の月次祭。
入龍宮幽斎殿での写経や神想観等々、
何れも懐かしく楽しい思い出である。

中でも忘れられないのは、
母のために何度か「宇治」まで水を汲みにいったことである。
地獄の様な境涯から、生長の家によって最高の幸せへと導かれた母は、
生長の家をこよなく愛し、真理の伝道を最高の生き甲斐にしていた。

その母が臨終を数日後に控えた頃、最後の浄化作用のためか、
いっさい食べ物を受けつけなくなり、
辛うじて僅かな量の水だけを飲んでいた。
それも水道の水は嫌なにおいがすると言うので、
私たち兄弟は色々な所から水を手にいれて母に勧めたが
どうしても喜んでくれない。

そのような時、今は講堂になっている場所に、
当時は木造の道場があって、
その道場の裏側に小さく清水が湧き出していたのを見つけ、
その水を持ち帰って飲ませたところ、とても満足そうな顔をして飲んでくれた。
それ以来、弟と交替で度々宇治へ水を汲みにいったものである。
祈りと、宇治の清水によって浄められた母は数日後、
安らかに天国へと旅立っていった。

話は変わるが、Y子さんは腎臓が悪く、長年人工透析を続けていた。
症状は最悪で、副作用もひどく、苦しみと絶望の日々を送っていた。
お茶を飲む事さえ医師から制限をうけ、食事も満足に出来ない毎日であった。

そのY子さんが生長の家に触れ
「人間は神の子であって永遠生き通しの生命である。病なし、物質なし」
の真理により、観の転換が出来、法悦境へと生まれ変わった。

その直後のお正月、
Y子さんと私たち家族は一緒に宝蔵神社に初詣に行った。
その時彼女は、
宝蔵神社が初詣の人達にふるまうお雑煮を三杯もお代わりをして、
私たちを驚かせた。
症状に悪影響が出るからと少しの水を飲むのさえ恐がっていた彼女がである。
まさに神の子完全円満の自覚の力であり、聖地宇治の功徳であろうか。
この事を機に彼女が目に見えて健康になっていった事は言う迄もない。

近々、また宇治へ行こう。

 

 

 

 


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