宇治別格本山総務 ・ 宮司

堀  端  芳  樹

 

 「生長の家」誌昭和三十三年六月号のなかで、谷口雅春先生は、次のようにお書きになっておられます。

赤坂道場の付近に前々から稲荷神社があったが、それが戦災で焼けてしまったのを復興する為に、稲荷大神の神霊を勧請する使命を帯び私の家内が伏見稲荷大社に御使したとき、鳩が聖霊のように家内の頭に舞い下った。その帰途、宇治の誌友から招待されて公園菊屋という旅館の一室で歓談しているとき、宇治は山紫水明静寂の地で非常にそこが気に入ったのであった。″

 このようにお書き下さいました。その後、谷口雅春先生に是非宇治の地に来て頂きたいとの誌友の方達の願いから、その年(昭和27年)の秋の京都の講習会を宇治の地で行う事が決定されました。その際谷口雅春先生のお宿に当てられたのが現在の宇治別格本山智泉荘の前身であります福田山王荘でありました。

 そして、講習会二日目の早朝、谷口雅春先生が山王荘の奥域を歩いて回られた際に、「ここに生長の家宇治別格本山を建てようと思う」 とおっしゃられた御言葉から、宇治別格本山の歴史がはじまったのであります。

 これまでの歴史で特に重要な出来事をみますと、昭和二十九年九月に 第1回の神性開発宇治一般練成会″ が行われました。また、昭和三十一年八月には、第1回の宝蔵神社盂蘭盆供養大祭″が行われました。昭和三十五年八月には宝蔵神社″が落慶し、翌年の昭和三十六年八月には全国流産児無縁霊供養塔(檜造)″が完成しました、さらに昭和三十八年十月には精霊招魂神社″が落慶し、昭和四十六年十月には入龍宮幽斉殿が落慶いたしました。そして、昭和四十九年十月には末一稲荷神社遷宮鎮座祭が行われ、現在の宇治別格本山の礎が築かれてまいったわけであります。

 生長の家宇治別格本山は、主として三つの役割を柱として人類光明化運動 ・ 国際平和信仰運動を展開いたしております。

 一つ目は、生長の家の仏間と云われておりますように、宝蔵神社におけます先祖供養としての役割であります、二つ目が、いのちのゆには″としての、神性開発宇治練成会であります。そして三つ目が、神癒の社 入龍宮幽殿″における神想観、写経、神癒祈願等の行事であります。
これらの三つの柱を中心として、日々三位一体で活動させて頂いております。

 この三つの柱が盛んになることが、宇治別格本山の発展につながることであり、 さらには大聖師谷口雅春先生の御心に答えることと考える次第です。

 特に宝蔵神社が建立されましたことは、生長の家光明化運動の霊界と直通し、交流するところが建設されたことでありまして、大聖師谷口清超先生が宇治の地は 「生長の家団体全体から見ると仏間であり神殿である」 と話されましたように重要な意義をもつわけであります。

 生命の実相の第二十一巻の五十九頁には次のように書かれております。
「生長の家の人類光明化運動には人間だけが参加しているのだ と思うと間違いでありまして、霊界における高級のスピリットが参加していて、霊界からこの光明化運動を護念しているのであります・・・」

 本尊神霊の導きによります宝蔵神社に祭祀された御霊様の働きは今後ますます重要になると
思います。


「顕幽相携えて大神の経綸を扶翼する」宇治別格本山の使命をご理解下さりますとともに、人類光明化運動・国際平和信仰運動のさらなる発展を御祈念申し上げます。

 (H30.10.吉日)








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