『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第14号  昭和58年7月25日 

  私は宝蔵神社落慶の霊雨を見た

前白鳩会兵庫県連合会会長 宇治別格本山参与 (当時)  長部真知
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建物のない宇治の山崩しに、生まれて初めて土運びをしました。
それは練成と云うことの始めだったと思います。

泊まる所もなく、宇治橋を渡って直ぐのきくや旅館に泊まって、今は亡き
斎藤寿美さん、西川さとさん、長村婦美子さん(現京都第二教区教化部長)
と神想観をしたり、出来たての宇治音頭を踊ったり楽しい思い出が一杯に
拡がってきます。

谷口総裁先生のご講話が、くぬぎ林の中で(今の精霊招魂神社のあたり)
筵(むしろ)を敷いて聴いたこともありました。

ハタハタと団扇(うちわ)で虫を払いながら、素晴らしい講話に聴きほれ、
自然大会場は感激いっぱいでした。

久山利雄先生や、谷田国次郎先生が随分ご活躍になりました。
土運びの練成もすんで、滝のところに木造平屋の道場が建ち、
奥の小さな部屋で谷口先生のお茶の接待役、谷田夫人のよく行き届いた
接待ぶりに感心し、大いに勉強させていただきました。

道場は片側の廊下までいっぱいでございました。
肉体なし。病なし。と今まで聞いたこともないお話に、一同陶然として
長時間咳一つ聞こえませんでした。

月日は過ぎて昭和三十五年に素晴らしい大殿堂が、四方靖郎さんの手で
落慶の運びとなりました。余り立派なので暫くは呆然と眺めたことでした。

その時の総裁先生のご講話は一段と力が入り、お嬉しそうでした。

私は相変わらずお茶の接待で、お茶やお菓子、おしぼりの準備で
スピーカーから聞こえてくる谷口先生のお声を聴きながら働いておりました。

谷口先生の御神霊へのお祈りが始まったので奥殿に向かって窓を開いたとき、
金モールの細い糸が霧雨と共に降って来ました。

目を擦って、錯覚ではないかと思いましたが、本当に降っているのです。
青空の下で雨が降る。どうしても不思議で受付へ電話で尋ねてみましたが、
雨は降っていないとの返事でした。濡れているのは定規で測ったように、
玉垣の内だけクッキリと土が濡れておりました。

その後、余り神秘なことなので口にしないでおりましたが、一緒に見られた方々が
昇天され、今では私一人の神秘な体験として、当時の接待室係としての光栄を胸に
生かされている幸福の日々でございます。


 

 

 

 

 


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