『宇治だより』 第13号 昭和58年6月1日
献労 井戸掘りの思い出
岐阜教区教化部長 (当時) 川上 繁
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宇治の山が献労によって、山肌を現わし始めた頃、私は宇治練成会に、
徳島から初めて参加させて頂いた。
献労の最初の時間に楠本加美野先生が「誰か井戸を掘った経験者は」
と尋ねられた。
私は二度ほど井戸掘りを手伝った事があったので、勢いよく手を上げた。
周囲を見渡すと私一人である。 驚いた。 もう手を降しても後の祭りで、
先生は 「経験者が来てくれて有難い!」 と、早速私は班長を命ぜられてしまった。
かくなる上は、生まれつき後に引くことの嫌いな習性が頭をもたげ、
何にも分らんのに引き受けてしまったのである。
仮道場脇に井戸が掘りかけてあり、半分ほど掘り進んだときに、岩盤に突き当り、
困って経験者を探していたところに私が現れた次第であった。
私はいっぺんに井戸掘りの専門家に仕立て上げられたのである。
私は調子のいい男だから井戸ぐらい掘れる!水が出ればよい!
地下水は必ずある!無ければ神様に頼んで、こっちへ地下水を
引っぱって来ればよい!
私は単純であるが、神を信ずる事は人の何倍もと信じていたので、
「絶対に掘れば出ます。下へ掘って行けば地下水に行き着きます。」と答えてしまった。
それでは最初に貴方が見本を示せと云うことになって、鶴嘴(つるはし)をもって
岩盤をカンカンとやるが、なかなか進まない。もうフラフラであった。
無限力!!無限力!!神様!!神様!!と、あんなに働いたことはなかった。
何人もの若者の手で、何日もかかったが、とうとうあの厚い岩盤を突き破り、
地下水が噴き出した。
今もこんこんと水が湧き出ているが、この時の献労精神が現在も私の心の中を
流れ続けていて光明化運動を支えている。
私は心の底から宇治を愛し、喜びいっぱいに使命達成に生かさせて頂いている。
※ この井戸は流産児供養塔横にあります。
現在は使われておりません。 (2019年5月6日投稿)