1767全ては自分に必要不可欠だった

長寿練成会感想文

  久しぶりに宇治の練成会に参加して真理のお話しを聞くために参りしました。
 初めて宇治を訪れたのが丁度1年前。
当時は拭えない不安感と罪悪感、自分も他人も信じられず、見るもの感じるものが全て怖く、
岡田浩二講師に「この世の不幸を一人で背負った顔」と例えられるほど憔悴し切っていました。
7月に10日間練成を受け、周りの練成員さん、講師の方々に支えられ、
真理に救われて気持ちが少し楽になり、体験感想文に「次は悩んで宇治に来るのではなく、
楽しく真理を学びに来たい。」と書いた事を覚えています。
当時はそう書きつつも、果たしてそんな日が来るのだろうか、
この苦しみから解放される日など来るのだろうかと思っていましたが、あれから一年、
感想文に書いた通り、その願いが叶い、参加出来たことを嬉しく思います。
年末まで研修生をさせて頂き、約半年ぶりの宇治でした。
研修生を卒業して元いた場所に帰る。
真理を学び、愛行の素晴らしさを体得し、その後の人生は何もかも上手くいく!
という訳には勿論行かず、現実(現象)は日々慌ただしく変化します。
嫌なことも、予想していないことも当然起こりまくる。
復職に際しては治まっていた不安発作が出たり、大切な人との別れもあって毎晩泣いたり、
仕事内容も全く新しく覚えることと失敗すること、上手くいかないことだらけでした。
しかし、前と違うのは、全て自分に必要不可欠な事だと結論を感謝に変えられるようになったこと。
これが出来るようになってからは、とても気分が楽で、ありがとうと言う回数もずっと増えました。
仲良くなったり、出会うタイプの方々も変わってきたように感じます。
自分が変われば世界が変わる、少しずつですが、少しずつ真理の意味を知る毎日です。
今回は長寿練成で、プログラムも忙しくなく、ゆっくり受講できて良かったです。
南禅寺の野外研修では祖母と同じ年くらいの方の手を引きながら境内を回ることが出来ました。
ありがとう、と言って頂けるとこちらが温かく、ありがたい気持ちになりました。
いつか私の大好きな祖父母も長寿練成に参加でき、
その時はこうして手を引いてあげたいなあと思いました。
宇治でのほっとする時間は束の間で、また明日から仕事です。
自分が本当にやりたいこと、求めているものは何なのか。
それに気付く為にも、目の前にあることを一つ一つ一生懸命に取り組んでいきます。
毎朝、研修生時代の名札と同じ色の社員証を首から下げるとき、ここでの学びを思い出し、
和顔愛語で気持ちよく仕事をします。


宇治練成体験談 トップ


©生長の家宇治別格本山