1648父の味わった辛さを理解し夫も許すことが出来た

10月短期練成会感想文

 参加動機は体の不調(卵巣のう腫)と人間関係で、宇治の研修生をしている息子に
強く勧められたことです。
私は16年前、4才の息子を連れ、地元から逃げて現在の地に来ました。
離婚後、自暴自棄の私は、また自業自得でトラブルに巻き込まれ、
DVの男性から追い掛けられる破目となり、見知らぬ地に来た訳です。

 祖母の代からの生長の家で、母の遺言は「何か困った時は生長の家の教化部へ行くように」
ということでした。

 新しい地では素晴らしい生長の家の仲間との出会いがあり、
着の身着のままの何もない私に、食事も与えられ、住まいも与えられ、
ついには白鳩会事務局に奉職させて頂きました。

 16年の月日は真理に支えられながら子供と生きてきました。
息子の挫折も機縁となり、宇治との深いご縁を頂いた我家ですが、
言葉では息子には父親の良い事だけ言って育てながら、
私の心には許せない思いがありました。そう思いながら、
講師の方からの祈り合いの神想観を受けた時、
祈りながら脳裏に浮かんだ事は、私の父の事でした。

 父に感謝しているつもりだったけれど、父の思いがフッと浮かびました。
それは辛かったであろう父の思いでした。

 私の父は教員で、私も小学五年間を教師である父と共に過ごしました。
あのカッコイイ父が、私が高校一年の時、事故を起こし加害者となりました。
それまで順風満帆だった父が、その後は左遷で廃校寸前の学校の校長になり、
更に血液の癌になりました。

 私も同じ48才となった今、「父は辛かったんだなぁ」と父の辛い思いが伝わりました。
当時、私は父を「情けない、あんなに自慢の父だったのに」と裁き、
父の存在がイヤでイヤで仕方ない時期がありましたが、22年も経つと、
父の事もキレイな美談だけ残り、忘れていました。
その父の淋しい気持ちを思い出したのでした。
浄心行では父に思いをずっと解ってあげられないでごめんなさいと詫びました。

 長田講師の個人指導ではまず自分を許すこと、主人を許すことを教えて頂きました。
「それでも許せません」と言ったら、「私は神様と一体です。
神の子である私は夫を許すことが出来ました」と祈るように教えられました。

 実相の世界には悪い人も病人もないのに、私自身の不調和な思いが
現象界に仮の姿となって顕れているに過ぎなかったと気付かせて頂けました。

 「たとえどんな姿で現れていても皆完全円満な世界である」と信じ、
「目の前の事に柔らかい心で対応させて頂いたらいいんだなぁ」
と心からそう思いました。


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