1170 幼少から父親との思い出が少ないにも関わらず
            懺悔と反省の気持ちが湧いてきた

 

 今回私がマンネリ化してきて、これは私の前からの悪い習慣で、
こういう生活がマンネリ化した時に自暴自棄になってしまい、
暗くふさぎ込んでしまうので、そんな自分を少しでも明るい方に変えたい、
何か活路が欲しいと思って参加させて頂きました。

 ふさぎ込むだけでなく、生活がままならない状態になるのを少しでも変えて、
真理の方を実践していきたいと思いましたのが参加の動機です。

 凄く個人的な体験ですが、この宇治に寄せて頂いた経緯を自分の中で内省していたら、
やぱり父母に感謝なんだなと思いました。

まだやっぱり徹底出来ていなくて、次の場所に行けないんだなと思いました。

 ふと思った事は、母には幼い時から迷惑をかけ、心配をかけ、
すまないことをしたという自覚と経験があるので、自分としても
「感謝しよう、すぐ出来るとか出来ないとかは置いといてちょっとでも、
少しでも以前より感謝して親孝行の自分になろう、それが私の今生の課題なんだ」

と決心し、感謝と心を込めて行じられているのですが、
父に対しては少しまだ引っ掛かる事があって、素直に心から感謝出来てない状況でした。

 自分では 「感謝しよう、感謝しよう、無条件感謝だ」 と思い、
毎朝神想観の時にも 「お父さん、ありがとうございます」 「お母さん、ありがとうございます」
と祈っているのですが、お父さんとの思い出が少ないせいか、
あまり有り難味が感じられなかったのです。

 その為、幼少期は寂しい想いもしました。
その責任をあまり覚えていない父になすり付けた方が心が楽だったのです。
けれど生長の家では 「今生の自分の仕業でなくとも、そういう家庭に生まれてくるという事は、
前世で今生の家庭のような事を何か仕出かした」とお説き下さっております。

 しかし、以前の私は納得出来ませんでした。
行じていても心が伴わず、けれど行じていたら心が伴って来てくれるかなと淡い期待を抱いて、
感謝行は続けておりました。

 しかし、十五日の浄心行をやり、次の日の朝、階段でふと楠本先生の
『父母の愛を求めて』 の中の一節 「私が実父に似て生まれてくれば離婚しなかった。
私のせいだ」 と書かれた所を思い出し、私も「ああ私もだ、幼い私が実父を素直に慕い、
なついていれば離婚にならなかったんだ」と思い、「お父さん、すみません」と懺悔しました。

 少しだけ素直になれたかなと思います。
まだ、現象的な嫌な面の実父の印象は消えませんが、これから毎日の神想観の中で
実相の父への感謝を深めたいと思います。

 今回の練成会で先祖供養の大切さをとても痛感しました。
そして三正行の大切さ、毎日の真理の研鑚がいかに
明るい未来へ進んでゆくために大切かを切に感じました。


 私はこれから毎日日常生活をおろそかにせずに三正行、
特に毎朝夕の神想観と先祖供養は怠らずに実行します。

 そして父母への感謝を神想観で深め、必ず大調和して
円満な関係を築いていきたいと思います。

 本当に七日間、受け入れて下さった職員、講師の皆様、
食堂の皆様、共に練成を受講した方々のお働きと機会に感謝致します。

大変お世話になりました。 有り難うございました。



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