1144自己限定に気付き無我の心境になった時、
     あらゆる心の殻が破れていった

 

 合掌、ありがとうございます。
この度の練成会では、もっとも大切なこと「人間は神の子である」ことを
改めて思い出させていただく貴重な機会となりました。

 参加の切っ掛けは、毎日の生活に気力が薄れ、仕事に支障を来すようになったということでした。
生長の家に携わる職場に勤め、人よりも身近に真理にふれる環境にいながらの自分の状況がもどかしく、考えれば考えるほど行き詰まっていく日々を送っていました。

 そんな中、幸い職場の理解のもと、9日間、練成会に参加出来ることになり、
そのまま道場に駆け込んだのでした。

 着いてから次々と講話を受けると、今まで何度も聞いていたはずの真理のコトバに
「ああそうだったあ」と幾度も幾度も感動の波が押し寄せました。

 自分の力で何とかこの状況を打開しなくてはという気持ちばかりが空回りして
「一切、現象はなし。人間は、自由自在、そのままで完全円満な神の子なんだ」と認めること、
「自己礼拝」をすっかり忘れていたのでした。

 しかし、そのことを思い出させていただくと、日に日に練成会が楽しくなってきました。
また座談会などで一緒に参加されている、素直で真剣な皆さんの話しを聞いても
心が喜ぶようになってきました。

 そして浄心行の時間を迎えます。今回は、今までとは違った記載をしてみました。
講話で自分に対する不満など、マイナスの思いを書き綴ってもよいと聞き、
早速実行してみたのです。
すると、出るわ出るわ、その事だけで用紙がほぼいっぱいになりました。
終わりの頃に、亡き両親が揃って笑顔で振り向いて歩いて行く姿が浮かび、
きっと心配していた両親も安心したんだと思え、本当に清々しい気持ちとなり、
体も軽やかになったのです。

ほかにも参加期間中、細やかではありますが、いくつか殻を破れたことがありました。

 座談会の時に自分の体験をありのままのことばで皆さんの前で話すことが出来たことです。
今まではどうしても出来ない自分をさらけ出せず、取り繕った発表しか出来ませんでした。
これも本当の自分を認めることが出来、余計な力みが取れたことによるのかも知れません。 

 もう一つは、神想観の座り方についてです。
「右足の踝(くるぶし)と踵(かかと)の間に左足のつま先を…」というところですが、
自分は足首が固いから出来ないという思い込み、形には捉われなくともよいといった勝手な思いから、
トライすらしていませんでした。
それが、不思議と今回は講師のことば、そのままにやってみようという気持ちが起こったのでした。
すると、練成会の数日間でほぼ正しい形に近い組み方が出来るようになってしまいました。

 これらを思うと、知らず知らずに自己限定している我の強い自分が縛っていたんだなあとも
気づかされたのでした。

 そんな練成会での充実した時間を帰ってからも続けるために、
絶えず心にとどめて置こうと決めたコトバがあります。

それは「喜べ喜べ」と長田講師からいただいた「今を悦ぶべし」です。

 これからは、日々、最大の自己讃嘆である神想観と聖経読誦を行いつつ、
それらのコトバを口ずさみながら、コトバの創化力を駆使し、
今与えられているすばらしくありがたい環境への感謝を忘れることなく、
人生を明るく切り開いていきたいと思います。

 最後になりましたが、常に真理のコトバを私達に降り注ぎ続けて下さった講師、
スタッフの方々をはじめ、関係者の皆様、一緒に参加されていた皆様、
本当にありがとうございました。

素晴らしかった、新性開発宇治練成会が益々充実、発展することを心よりお祈り致します。












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