1079,虐待を受けながらも懺悔と感謝の境地に!

11月短期練成会 発表日:H26.11..3

 今回は、研修生として参加しました。
二つほど感じた事がありましたので書かせて頂きます。

 僕は自分が「神の子」という事を少し信じれなかったところがあったのですが、
テキストを聖典頒布所に買いに行った時、図書の太田さんが、
「何かをしていても、何もしていなくても、神の子なんだよー」と言っていて、
「あ、俺はやっぱ神の子なんだー」と改めて実感しました。


 阿部先生の浄心行での感謝誦行の講話のところで、
「ありがとうよりもごめんなさいが先に出て来ました」とお話になっていて、
それを聞いた瞬間、涙がダーダーッと出て来て、思わず会場を抜け出し、うずくまって泣きました。
何故そこまで泣いたかと言うと、こんな過去があったからです。

 僕が小一の時に父と母が離婚し、その直後から父は僕を殴るようになりました。
時にはハンガーやドラムのバチ、リモコンなどで殴られ、アザだらけになった時もありました。
僕は父を憎み、僕を父に託した母を憎み、憎み、憎み、憎み続けて八年半が経ちました。
 二ヶ月前の浄心行で感謝したはずだったのですが、心のどこかで感謝出来ていなかったのでしょう。

 ですが、今回も浄心行があるということで、どうしたら感謝出来るだろうと考えました。
でも、なかなか答えが見つかりませんでした。

 そして、そんな状態のまま今回の浄心行が行われました。
ですが、浄心行用紙を燃やす順番待ちをしている時に、ふと答えが出ました。

 「俺を生んでくれたじゃん、これ、感謝じゃね?」と思い、
母には感謝出来ました。


 「問題は父・・・」と考えました。
「でも、殴られたことに感謝って・・・」と考えていたら、ふと、阿部先生の話しを思い出し、
「感謝じゃなくて、懺悔なら出来るやん」と思い、「問題ばっか起こしていた俺を赦して下さい」と、
心の中で唱えていました。

 唱えていくと、「あれ、問題ばっか起こしても、今まで育ててくれた人って誰だっけ・・・
あ、父さんやん」と思い、
あれ、これって感謝やん・・・感謝出来たじゃん、これ、本当の感謝じゃん」と感じました。


今では父、母のことを思い浮べると、二人ともニコニコ笑っています。


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