『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第10号  昭和57年5月1日 

 “神癒の社”の祈りが成就して

香川県教化部長 (当時)   泉 英樹
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 私が宇治別格本山へ初めて参拝したのは、昭和三十七年夏の
大学生練成会の時であった。
それまでは「清き流れの宇治川の、山紫水明名も高き…」と唄われた聖歌や、
宇治練成会の献労での奇跡的体験を誌友さんに聴かされて知る位で、
是非参拝したいものだと思っていた。 

 私にとって忘れられない出来事がある。
それは昭和四十九年六月十六日、当時本部の教務局へ勤務していたが、
近畿ブロックの教化部長会議が大阪の教化部で行なわれた折、
徳久克己先生のお伴をして出席した。
その会議の翌日一日だけ休暇をとって宇治へ参拝した。

 宇治参拝について私は一つの大きな願いを持っていた。
と云うのは、その頃九州別格本山が開所され、近々谷口雅春先生も
九州へ御移転に成ると云う話が出ていた。

 私は「一日でよい、谷口雅春先生のお膝下でお仕事をさせて頂き、
根本的な勉強をしたい!」と切実に思っていたからである。

 その願いを胸に秘め、宇治へ参拝し、あの幽斎殿へ坐して切に祈った。
祈りの最中 “お前は必ず九州へ行けるぞ、谷口雅春先生のそばへ行くぞ”
と云う思いがフツフツと湧き起って来たのである。

 私はその思いが神の声なのか、自分の潜在意識から出て来た
願望のコトバなのか一瞬判断出来なかった。
ただその時、「これは神様の御言葉であるのだ!」と強く自分に言い聞かせた。

 丁度その祈りの日から一年経った五十年六月十八日の本部理事会に於いて、
私は九州別格本山への転任が決定したのである。

 その日は総裁先生が、「鎮護国家出龍宮顕斎殿」の御命名をなさった日でもあった。
つい最近私は大きなお蔭を頂いた。

 それは前任地、長崎南部の御講習会が、五十六年の三月に開催されたが、
それに先立って五十五年暮、宇治に参拝し、末一稲荷神社で大講習会の
大盛会の祈願をお願いしたのである。
(五十四年も祈願し、素晴らしい成果があった。)

 その結果、今まで受講券数でどうしても一万枚台に乗ることが出来なかったのが、
(九千の壁がどうしても破れなかった)不思議な盛り上がりを見せ、早々に一万を越し、前年度を二,六○○枚も上回る新記録を作ったのである。

 まことに宇治は “魂のふるさと” であると同時に、吾々の教化を強力に
援助して下さる霊地でもあることをつくづくと感ずる。


 

 

 

 


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