『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第8号  昭和56年7月10日 

  御先祖様と共に光明化運動の悦びを

白鳩会大分県連合会長 (当時)  菊川スミ
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 慌しい中にも祈りが叶えられ、今年もまた霊地宇治宝蔵神社の先祖供養の
研修会に参加させて頂きました。

 私達信徒は、谷口雅春先生の偉大なる御神啓の御徳に浴して、
霊地を与えて頂き、掛けまくも畏き大神様の御護りの中に、日毎年毎に
御愛念溢るる御先祖供養を頂きますこと、この上ない有難さ、感激で
一杯でございます。

 そして、霊力と申しますか、御先祖の喜びの加護と申しますか、
光明化運動への大いなる推進力を頂き、力湧きたたせて邁進することが
出来るのでございます。まことに有難きかな、勿体なきかな宇治別格本山
宝蔵神社の御存在でございます。

 この偉大なる宝蔵神社の御供養を一人でも多くの人々に浴して頂きたく
私共の県でも、四・五・六月と先祖供養一日見真会または誌友会を催し
推進させて頂いておりますが、去る五月一日も「一日の御祈り」後の、
先祖供養見真会の折、素晴しい体験談が沢山聞かれました。
有難い極みに存じます。

ここに一・二例、感謝をこめて発表させて頂きます。

 大分市石田町の石川フミさんは、御主人の教え子の御先祖様まで
霊牌供養をなされ、毎年一千柱の霊牌を奉安される熱心な信徒さんです。

 昨年のことでしたが、私のところに相談にこられ、二人のお子さんが
六年間も 中耳炎で、医者でも治らず悩んでおられました。

 それで戸籍謄本を取り寄せて頂き、分る限りの御先祖を霊牌供養して
真心からの感謝行をして頂きましたところ、その夜、フミさんの枕元に
沢山の人々が現れて、手を差し伸べ握手を求めてくるのだそうです。

 その人々をよく見ると、腰から下がないので手が届かず、
握手が出来なかったそうですが、そんな夢を見て不思議に思っていたのですが、
宇治の盂蘭盆供養大祭が終わると、あれほど悪質だった中耳炎が
二人ともきれいに消えてしまったと云う報告がありました。
そしてあの夢は御先祖様からの悦びの霊界通信で、有難うと私に
握手を求めてこられたのですと云っておられました。

 玖珠町の木村シズ子さんは、扁桃腺炎を患い、なかなか治らないでおりましたが、
医者が急に「癌のようだから手術した方がよい」と云われたそうで、
あまりの事に、宇治練成会を受けさせて頂きました。

 そこで先祖供養の大切さを身を以て知らされ、早速、戦死された御主人に
感謝して永代供養を申込まれたのを手始めに、御両親四柱と近親者も加えて
計十柱の永代供養を申込まれたところ、自然に扁桃腺は消えて玖珠の家に
帰ることが出来ました。

 さらに素晴らしいことには、一ヶ月も経たないうちに、御主人が生前、
農地を購入されていたそうですが、大阪に転勤していたので、
その土地のことは忘れられていたそうですが、どうして知ったのか、
不要なら譲って欲しいと云う人が現れ、思いがけない幸運が舞い込んで参りました。

 木村さんは 「これは御先祖様からのお恵みです。勿体ない勿体ない」 の連発で、
それで龍宮住吉本宮に百万円を奉納されました。



 

 

 

 


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