『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第7号  昭和56年4月10日 

 全国有名盆踊りと共に二十五年をかえり見て

奈良県教化部長(当時)  北尾巳代次
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 盂蘭盆供養大祭で全国から参拝される信徒の方々に、地方色豊かな
郷土の踊りを披露して頂ければ、大祭に奉安された御霊のこよなき慰霊となるし、
且つ神縁浅からぬ宇治市民の方々に、生長の家の理解を深め、心のつながりも
得られるであろうと謂う、当時の和田大祭委員長の発案から、地元の観光協会、
関係団体と再三協議を重ね、昭和三十一年、初めて宇治塔の島に於いて、
第一回全国有名盆踊り大会を開催させて頂く運びとなりました。

 当日は地元商店街の強い要請から殆どのチームが、国鉄宇治駅前から宇治橋迄、華やかな衣装で踊り狂い、街は見物人でごったがえす賑わいを見せました。

 併し、一・二チームを除いては、お囃子はテープの為、それを流す自動車の運転に
右往左往させられた経験は忘れられません。又一方、塔の島の特設舞台も、
電圧の関係から照明が届かず観客のハプニングに頭を痛めました。

 確か、三・四回であったと思いますが、折悪しく台風と重なり、急遽、会場を
兎道小学校の講堂に移しましたが、設備の点で出場の方々は勿論、
一般信徒の方々にも大変な御迷惑をおかけしました。

 其の後、宝蔵神社大拝殿前に特設舞台を組み、会場を境内に移してから、
信徒様の積極的な御協力によって、全国有名盆踊り大会は宇治市の三大祭の
一つとなりました。

 その間、北海道・東北・九州と全国的な規模で参加をして頂きましたが、
時間の都合から踊りの途中で止むを得ず中断させて頂くと謂う事情などで、
責任者に強いお叱りを蒙る事もあり、今は亡き井上仙太郎氏と偕に頭を痛めた
事も屡々(しばしば)ありました。

 盆踊りを是非塔の島に移して欲しいと云う観光協会、その他の強い要望が
何回かあって、三年前より三回塔の島に変更させて頂きましたが、昨年は珍しく
雨となり、激しい降雨の中を中断せず白鳩の皆様が熱心に踊って下さいました。
美しい衣装や、高価な扇子が雨に濡れるのを見て、世話役として胸の詰まる
想いでした。

今後も盆踊りは宝蔵神社と偕々発展してゆく事でしょうが、珍しい地方芸能を
幅広く御披露して頂いて、信徒の皆さんや宇治市民の楽しい思い出として
残したいと思います。


 

 

 

 


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