『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第30号  昭和63年10月1日 

  新生のふるさと-宇治

    大阪教区 地方講師会長(当時) 秋山国雄


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宇治別格本山へお参りする時には、何か、心がはずむ。
息をはずませて登る金剛心参道の傍の築地塀も、
丸い石の石垣も、樹々の深い緑も「ありがとうございます」
と御迎え下さる声も、昔と少しも変らない。
身心共に生きがいをなくし、重い靴を一層重く感じながら登った道が、
練成の帰途には黄金色に輝いて、雲の上を歩くように感じられた。
不安と期待の交錯する中で生れて初めて受けた練成会が、
私を根本から新生させて下さったのである。

湧き出ずる感謝が運ぶ 宇治の土
人間神の子無限力の感動的な御講話を下さった先生が、
練成員の先頭に立ってシャツも脱いで
ひたすら山崩し土運びの献労をされる御姿に、
つられるようにして献労をさせて頂く。
「ありがとうございます」の声が全山にこだまする。
お金を支払ってさせて頂く献労の中に、感謝の言葉の中に、
やがて小さな「我」の身構えと既成の「自己流の物差し」は崩れ去って、
生かされている喜こびが湧き上って来た。
「宇治に本物があった。本音の信仰生活があった。」
と小躍りしたものである。

むしいもへ神の子来いと 太鼓鳴る
三時には太鼓の音で休憩である。土の上に、
ざるに山盛りのむしいもを出して下さる。汗を拭き乍ら頂くいもの甘さよ。
土の上に寝ころがり、空を仰ぎつつ、
先生方の本音の信仰生活を御指導頂いたのもこの時であった。

ざんげ聞く胸へ己れの 懺悔する
 体験談が感涙の中に話されると、他人事ならず自分も共に懺悔している。
いつの間にか、私の病も消えていた。

感激の涙が洗う 頬のつや
 感謝と感激の涙は、心身を浄め、磨いて下さり、顔付が変ってくる。
新生の力がみなぎってくるのであった。

新生の風爽やかに 新茶摘む

今の講堂の前あたりに茶畑があって、
ある月の献労はお山に捧げるとて新茶摘みであった。
湧き出ずる師への感謝、一摘み一摘みに心をこめたものである。
椎茸の献労も又、師に先づ捧げられるとて喜こび勇んだものであった。

あれから三十年。参らせて頂く度に、宇治は発展整備されている。
有難いことである。今は相見ぬ先達の方々、
信仰の友の方々を偲び、尊き神縁に感謝しつつ、
使命をかみしめつつ、私は、また金剛心参道を登る。
「ありがとうございます」と。


 

 

 

 


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