『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第27号  昭和62年12月1日 

  美しきわが宇治

    東京第一教区教化部長 妹尾壽夫 (当時)


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美しき宇治
美しき宇治  宇治を思うと  不思議に心がなごむ  自他の境が消える
ほゝえみが湧き  愛が湧き  力が湧き  神のふところにいるみたいだ。

美しき宇治  宇治を思うと  自然に還る  天地の声をきゝ
先祖の声をきゝ  内なる声をきく  その静寂にすべてが満ちてこころがおどる
あゝ美わしきわが宇治


想い出ずるまゝに書き綴った宇治への情感の一節。
私は宇治別格本山に奉職20年。
この間に子供の誕生あり、死産あり、妻の死あり、再婚あり。
大袈裟に云えばまさに波乱万丈の年月であったと言えるでしょう。
しかし、至らざる私のすべてが赦され、包容され生かされて来た私は幸運でもあったし、又このような体験を通して、自らを『強運の男』と信じられるようになったのは宇治にいたからだとしか思えない。

その宇治の代表的行司は誰も知る夏の盂蘭盆供養大祭であります。
私はこの大祭の奉仕を通じて、無我献身ということを身をもって学ぶことが出来ました。大祭奉仕の中で最も重労働の一つで、なるべくその仕事だけは避けたいと思う係りに「会場」というのが一つ残っておりました。それを引き受けて、一番楽しい係りにしようと努力したとき、逆にみんなから憧れの的となり、奉仕するなら、是非その係りにしてもらいたいと申込みが相つぐようになったことなどは、何物にもかえられない貴重な体験の一つであります。

宇治が私を抱えて放さないのは、祖先との交流の場もさることながら、献身の美徳をいつも見せつけられるからであります。
大祭のときに、奉仕の人達がありほどに無我献身になり得るのは、日頃に職員や研修生の無我献身がにじみ出ているからだと思います。
思えば宇治は無我献身という美風が生きる霊地であります。

宇治のたましいは人々の心の無我献身であります。
これある限り、宇治は永久に愛され、栄えゆく事を信じます。


 

 

 

 


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