『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第22号  昭和61年7月25日 

  霊宮聖使命菩薩の父母とともに

   宇治別格本山理事(当時)  多湖 勉
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宇治別格本山理事・和歌山教区教化部長の多湖勉本部講師が、生長の家総本山団体参拝練成会参加中のところ、去る六月二十五日午後九時十五分喀血による窒息により急逝された。
享年五十八歳。総裁谷口清超先生により「実相光明宮妙信勉学大居士」の解脱名を賜われた。
尚、ここに記載した文章は多湖理事が御昇天される十日前に書かれた文であります。
謹しんで御冥福をお祈り申し上げます。

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谷口雅春先生が神殿に昇殿され、戻られる時にその御姿を―とシャッター・チャンスを考えてカメラを構えた私の頭上から、霧しぶきのような一条の雨が、陽光を浴びて白く輝きながら注いだ。
カメラを濡らさないように慌てて大拝殿の廻廊に引き下がったが、白い光の雨は神殿と拝殿の渡り廊下の上を、サァッーと爽やかな音と共に横ぎって行った。

昭和三十五年、宇治別格本山・宝蔵神社の落慶大祭の時のことである。大祭の記録係りを仰せつかった私は、あとでその霊雨のことを聞いて、“あれが!”と思い当たったのであった。

当時は、例年のように大祭の記録係りを受持ったが、最近別格本山の地下廊下の壁面を飾る記録写真の中に、想い出のプリントを見つけ、なつかしく眺めるのである。
大阪教区(当時・大阪府支部)の青年会員であった頃、新年祭、盂蘭盆大祭・秋季大祭と欠かしたことがなく、宇治とともに御教の大いなる喜びに導かれたものであった。

家内も、高校生の頃、足の水虫で悩み抜いて、宇治の夏季高校生練成で、楠本加美野講師の「親孝行」の御指導をうけて、忽然と癒された。結婚式も嘉村俊凞(としひろ)先生御夫妻のお世話をうけ、宇治別格本山で挙げ、披露宴は青年会の仲間の祝福をうけて智泉荘でさせて頂いた。
地方講師試験も詳密講習会の折に宇治で受験した。

生長の家本部青年局に奉職するようになり、全国の執行委員長会議を宇治の盂蘭盆大祭に参拝した直後、開催させて頂くようにしたことも、当時の同志と顔を合わせれる毎になつかしく思い出す。

現在は、和歌山県教化部長を拝命しているが、以前、南国の沖縄県教化部に赴任して九ヵ年勤めた時、盂蘭盆大祭、秋季大祭、評議員会、対策部研修会等に必ず出席させていただいた。それは私にとって霊宮聖使命菩薩として祀られている父母の御許に参上する大切な機会であったからである。

その頃、沖縄から女子高生が家出した。熱心な白鳩会の母親と、生長の家大神と御先祖様と高校生の霊界の父に彼女が見つかるように祈った。

数週間経って丁度、秋季大祭と詳密講習会が執り行われた。大祭に出席した私に、大阪の住吉警察署を通じて連絡があり、大祭の第一夜遅く住吉大社近くのレストランに秘かに勤めていた女子高生を連れ戻しに行った。
彼女は沖縄から家出したが、結局詳密講習会を受講し、秋季大祭へ参拝した一という結果になった。

霊宮聖使命菩薩として祀られてあった彼女の父の霊が、守護し導かれたのであったと気付かせていただいたのであった。

緑したたる霊地宇治別格本山の美しいたたづまいを仰ぎながら、しみじみと御先祖様と一ついのちの自覚を大いなる感謝とともに感じさせていただく日々である。


 

 

 

 


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