『宇治だより』 第20号 昭和60年12月1日
稲荷大神遷宮祭と尊師の無言の御教え
相愛会滋賀教区連合会会長(当時) 本田憲吾
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昭和四十九年十月十九日、第十四回宇治宝蔵神社秋季大祭の二日目と
覚えていますが、『末一稲荷神社遷宮祭』が行なわれました。
当日は朝から大雨が降り続いていました。私も神官として参加し、
遷宮祭の司会を仰せつかって居りました。
心配していた雨も次第に小降りとなり、四時頃には空は灰色に雲っておりましたが、雨は止んで来ました。そして引き続き『渡初めの儀』が行われるや、松明を掲げて
先頭にたち、行列の足下を照らす大役をさせて戴くことが出来ました。
そして祭殿に到着しますと直ちに『御神霊鎮座の儀』が始まりました。
新祭殿の周囲は人、人、人で埋まっていました。
遷宮祭が終わるのを待っていた様に、亦雨が降り始めました。
当日私は祭りの中途で雨が降るとは思わなかったのですが、祭典前に
宇治の職員の方が、「もし雨が降り出したら、此の人手の中でどうして総裁先生に
レインコートを届ける事が出来るだろう」と、困惑していました。
其の時です、私の口を吐いて突如「そのコート僕がお渡ししよう」と云って
受け取ってしまったのです。
私はコートを小さく畳んで、神官装束の胸の中に入れて祭典に参加していました。
祭殿の前には祭典のテントが張って在りましたが、満席になっており、
自由に動く事も出来ない状態でした。そこで私は宮司にそのことを告げ、
早速コートを取り出し、拡げると先生の御前に捧げ持ちました。
総裁先生は私の捧げ持つコートを御覧になると、微笑せられて、その位置で
私に背を向けられました。私は先生がコートを受け取りになるとばかり思って
いましたので、一瞬とまどいましたが、すぐにこれは『後から着せ掛けよ』との
御心だと思いました。
私が後から掛けて差し上げますと、先生は無言のまま前を向かれて
亦微笑されました。先生は自分で袖を通されません。此の時も私は、
若しかしたら叱られるかもわからないと思いましたが、思いきってコートの
袖口の方から自分の手を突っ込んで、先生の装束の袂と先生のお手を
一処に摑んで引き出して差し上げました。
右も左も、次にボタンをお留めして差し上げたと覚えています。
先生は黙って椅子に掛けられました。先生はこの場合狭いテントの中で
自分が動く事が多くの人に迷惑を掛ける事を思われて、雨具を着ける事を
無言のまま私に全托されたのではないかと思いました。
「全托とは自我を死に切るべし」との御教えを如実に実践されお教え下さる先生の
御愛念に感動し、涙が流れ落ちました。
目の前には雨の中で祝餅を投じていられる神々しい先生の御姿がございました。