925,御当家への祈りに集中するうち、周囲が気にならなくなり、
    
伝道への不安も消えていた!

2月伝道練成会 発表日:H26.2.22

 私はこの宇治の練成に「人にお伝え出来る自分になりたい」と思い参加しました。
一つ一つ密度の濃い素晴らしい伝道練成会でした。
生長の家の仲間、特に青年会の仲間には、是非とも一般練成・伝道練成を
セットで受けることをお勧めしていきます。

 私は伝道練成が少し不安でした。
一般練成は話を聴いていればそれでいいけど、伝道となれば、
外に出て伝えるため、ビクビクしていました。

 でもそんなイメージは初めの楠本先生の講話で覆されました。
「伝道は礼拝」だということ。
教えを伝えて幸福にしてあげよう、悪いところを見つけて良くしてあげようなんて思わなくていい、
むしろそれは傲慢な考えだと気付きました。

 「伝えようと思わず、拝むだけでいい」と聴くと気持ちが楽になりました。
そして伝道へ出発する前に神社で祈ることがとても大事だと思いました。
橋姫神社、宇治神社、末一稲荷神社で聖経を誦げてから出発しました。

 伝道では色んな所に行けて楽しかったと思います。
それでも初めはもちろん緊張しました。
宗教だと嫌な目で見られないか、また、人の家に急に訪問して
こっぴどく追い返されはしないかなど、周りが気になりました。

 一日目は研修生の方と一緒に行かせてもらえますが、 その研修生の方に、
「もう開き直った方がね、やりやすいんですよ。こんな分りやすいタスキも掛けてるわけだし」
と言ってもらい、「あぁそうだな」と思えました。

 最初に訪問したお宅は、祈っている時に左目に眼帯をしたおじいちゃんが出てきました。
「私は耳が聞こえんもんでねぇ」と言いました。
耳が不自由なことを理由に「宗教はごめんだ」というような感じでした。
「祈りだけさせて頂きますね」と言ってから合掌すると、おじいちゃんも合掌してくれました。
目に病気があり、耳も悪い。まさに「神の子、神の子」と祈ろう!と思って祈りました。

二ヶ所目は駄菓子屋さんでした。
中におばあちゃんとおじいちゃんがいて、
「生長の家から来ました。この辺り一帯、祝福の祈りをさせて頂いてます。こちらを是非読んで下さい」
と、教えられたとおりの言葉で話しました。

 おばあちゃんに 『白鳩』 を見せると、持っていると言うので、
「これは今月号なんですよ、是非・・・」と言って手渡し、
怪しむような顔をしたおじいちゃんにも 『いのちの環』 をお渡ししました。 

 祈りが終わって、次の家に行く時、おばあちゃんは手を振ってくれました。
「そうか、私を孫のように思ってくれたか。良かった」と思いました。

 2日目は練成員同士でペアになりました。
私達には阿部先生が一緒に来て下さり、先生は、
「奥の方は普段時間が無くて行けないから奥から行こう」と提案して下さいました。
その時は、「祝福させて頂けるだけでありがたい」という気持ちになっていました。

 表札を見て、「〇〇家、どんな方かな?夫婦で暮らしているのかな?子供さんはいるのかな?」
など、架空の様々なことを想像しながら祈りました。

 午後は商店街で、人通りも多く賑やかでした。
その時、私はもう雑念との戦いでした。
「せっかく祈らせて頂いても周りのことが気になって気持ちが入らなければ意味が無い!」
「ただ聖経を読むだけ、祈りの言葉を読むだけという行為になってしまう」と思いました。

 それは、今考えると、「気持ちが入らないと失敗する」(追い返される)と思っていたからでした。
私は人に拒否され、失敗することが怖かったのです。でもそんな心配も、祈る時の言葉に集中し、
その家の人のことを考えると、おのずと周りは気にならなくなり、
一所懸命、無我で祈ることが出来ました。

 毎回伝道練成で伝道して下さっている事の賜物なのか、
「いつもありがとうございます」 とか 「ごくろうさまです」
と言って下さったことが嬉しかったです。

 もし私が生長の家を知らないとして、急に家の前で祈られたら驚くだろう。
怖くてインターホーンにも出ないだろうと思いましたが、普及誌を貰って下さる方もいるもので、
これは神の力なのかなと思いました。

 普及誌を貰って下さる方が、ふと何かの時に手に取り、その中の文章のただの一節でも
その方にとって役に立つことを願いました。

 その後の座談会で阿部先生が、「どんな相手の反応の裏にも自分に気付くことがある。
例えば親から与えられているけれど、自分はその時の気分や状況で押し返したりはしなかったか」など。
そんな時に私はある人を思い出しました。

 私が中学の時、母に中学生練成に送られましたが、友達がなかなか出来ず、楽しくなく、
その後は練成に行かなくなりました。その頃その方は私に電話で、「最近どうですか?」と、
こまめに連絡を下さり、家庭訪問もされ、私の神の子の姿を拝んで下さっていました。

 今でこそ素晴らしい愛行をして下さっていたと分るのですが、
当時の私はその人が憂鬱な存在でしかありませんでした。

 電話がかかってきても、何か私が発言すると、真理の話を長く聴かされるので、
私は電話機を30センチくらい耳から放して、話が終わるのを待っていました。
家庭訪問に来て下さった時など、母に「いないと言って!」と、その方に聞こえるように強くどなり、
今ではなんて申し訳ないことをしていたのかと反省してます。

 高校生になって偶然生長の家をしているクラスメイトに誘われ、
再度練成会に参加することとなり、その後、生高連(生長の家高校生連盟)に入り、
大学生になってからは積極的に青年会活動に参加するようになりました。

 今思えば中学生の時の私からは一番想像出来ないことと思います。
その人の愛行に感謝するとともに私もその方のような愛行をしたいと思いました。

 今日は素晴らしい祝福の祈りが出来たと思っていたら、夜の長田先生の講話で、
「自分が祝福、礼拝した、拝んであげたと思うのは傲慢だ」
「私がしているのではなく、神様がしているんだ」
「私達は神の使いであって、神からの祝福が私の無我の祈りを通して相手の人に流れ入ったんだ」

という話を聴きました。

 招神歌の「吾が業は吾が為すにあらず」を思い出しました。
素晴らしい体験が出来て良かった。
これからもここで経験させて頂いたことを地域で活かしていきます。
ありがとうございました。


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