895,自分で道を切り開いているのではなく、 「導かれていたのだ」と気付く

 

1月新春練成会 発表日:H26.1.20

○引きこもりで暴力をふるっていたが、練成を受け、研修生になり、神の子に新生した。

研修生をやらせて頂いており、半年経ったということで、自分を見直すため参加しました。
この練成会で一番心に残ったことは「生かされている」ということでした。

自分は中学生の時、2年間引きこもりを経験し、高校生の時には通信制高校に通っていましたが、
週一度のスクーリング以外はほとんど家にいて、無気力で、
「これから先、何をやっていったらいいんだろう」「何をやっていったら幸せになれるのだろう」
と悩みながらも結局どうしていったら良いのか分からず、将来に対する不安もあり、
精神的に不安定になっていきました。
親に暴力を振るったり、ガラスを何枚も割ってしまったこともありました。

中学生の時、不登校になった理由は本当に些細なことだったのですが、
昔から人の目を気にしがちな性格だったので、些細なことが日々積み重なって、
学校に行けなくなりました。

見た目のことや、匂いのことなどを自分が気にし過ぎていたということもあったのですが、
そういったことを親に心配かけたくなかったのか、ほとんど相談出来ず、学校に行かなく、
何もしない日々が続きました。

その当時は自分だけで生きているという思いが強く、自信が無かった自分には何も出来ず、
学校に行かなければ後悔するという気持ちはありましたが、勇気が出ず、
どうすることも出来ませんでした。

高校生の時も親を信用出来ず、金銭面以外ではこれからのことは自分だけで決めて、
自分で全てやっていくんだという気持ちをもっていましたが、実際には何も出来ず、
親に全てをやってもらっているという生活でした。

自分の将来は自分でゼロから見つけ、道を切り開いていくのだと思っていて、
理想だけは高く持っていましたが、世間の事など全く分からず、
家にいて悩んでも悩んでも道が見えてこず、自分に絶望していました。

無力な自分はこの複雑な世界をどうやって生きていけば良いのだろうと、
色々暗い事を考えて不安がつのり、精神的に不安定になっていきました。
そのせいか、お菓子を沢山食べたり、音楽を大きい音で聴いて、
クタクタになるまで興奮するなど、めちゃくちゃな生活を送っていました。

 そんな中、親に、「宇治に行けば何でも問題が解決するよ」と言われ、
真理の話を聞かせてもらい、少しずつ希望が持てるようになっていきました。
そして、研修生になったら、しっかりした自分になれるのではないかと思い、研修生になりました。


研修生活を通して両親に感謝を深めることや、みんなと一緒に献労をやっていくことにより、
どんどん良くなっていきました。

しかし、我の力で頑張っていたのか、精神的にいつも疲れていて、
あまり心から喜べる状態ではありませんでした。

今回の練成で 「生かされているんだ」 という言葉を聴き、
今まで沢山聴いていた言葉ではあったのですが、
「自分が頑張らないと成長出来ないんだ、道は開かないだ、無理をしていたな」と思いました。

でも今までの人生を振り返ってみると、色々ありながらも宇治に来る事が出来、
悩みながらもちゃんと良くなっていっているので、
「自分で道を切り開いていっているのでなく、導かれていたんだ、生かされていたんだ、
どんな出来事も自分を成長させてくれていたんだ」という気持ちが起こり、
常に守られているという神の愛を感じることが出来ました。


無理をする必要はなく、与えられたことに誠を尽くして、
神の導きのままに自分が思ったとおりにやっていればちゃんと神様はもう道を作ってくれており、
自分を見守りながら、導いてくれるんだという安心感が出てきました。

今では「どんな道を歩んでも、善しかないんだ。喜びしかないんだ」という
明るい気持ちになることが出来て、希望に溢れています。

決意と致しましては、三正行をとにかく続けていくことと、両親、生長の家の方々、
身の回りの人達に報恩感謝していくこと、そして神様に全托して、喜びいっぱいの
幸福な人生を歩んでいくことです。


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