2308,研修生講話体験感想文

研修生講話体験感想文

今日の「一日講話」を通して、自分の立場、
相手の立場があるという二元論に陥っていた自分に気づかされました。
そして、それは対立するのが当たり前と思っていました。

神の子の自分を忘れて、物質的、肉体的不足を思い、
捉われる事が毎日のようにあります。
そうかと思うと本山員の方たちに拝まれ、
愛を与えていただき、 時にはほめていただき、
「自分はすべて与えられている。救われ済みの神の子だ!」
と嬉しくなるときがある。このサイクルを繰り返している気がします。
しかし、その喜びを伴った感動は
研修生になってからは大きくなるばかりです。

退歩しているようにみえても、魂は生長し続けている。
史上最高の自分を毎日記録し続けていると思えるようになりました。
「引きこもっていた時も、現象的に何が起こっていようと
魂は生長し必ず善くなるしかない。
神に導かれ、喜ばれ、生かされ、愛され、護られ、既に救われている。
ここが天国浄土、喜ぶしかない、感謝するしかない」
という心になるときが増えてきました。

神様は自分に無限力を表現させていただける舞台を与えてくださり、
父は「お父さん」という役を演じてくださり、
今、研修を担当してくださる清水講師も岡田浩二講師も
それぞれの役を演じてくださり、
目の前に現れている人達は全て自分を導くために現れてくださっていることを、
今日の「祈り合いの神想観」の実修で感じました。

そして相手を想うことの喜び、みんなの幸せは自分の幸せであり、
自分の幸せはみんなの幸せである。
すべて1つの生命だという感動を味わいました。
祈ることにこんなに感動したことは今までありません。
祈ることの喜び、「祈りなさい」と言われて
仕方なくやっていたのではわからなかった感動を体感しました。

まだまだ未熟にも程がある自分ですが、真理を知り、行じ、生きる。
これを続けていけば、また続けていく事で、
仏陀となるという『聖使命菩薩讃偈』の言葉の意味が少しわかった気がします。


宇治練成体験談 トップ


©生長の家宇治別格本山