2003御心のままに――“大切な人に広めていく”悦びの使命を生きる

働く悦びを生きる練成会感想

 9月上旬、高校からの親友と久しぶりに再会し、
近況報告の流れのまま生長の家の話をすることになりました。

今年の4月に宇治別格本山に来たことで
人生が目まぐるしく変化しているということをありのまま、
しかし、しどろもどろ話をしました。

正直、宗教に関わっているということをどう思われるのか
分からない不安しかありませんでしたが、
それでも彼女には知っていてほしいと伝えたところ、
「あなたの考え方、好きだよ。宇治ってどんなことやるの?行ってみたい」と、
思ってもみなかった返事をくれました。
これは御心でしかない、と元々入っていた予定をすぐにキャンセルし
本練成会の初日から参加させていただきました。

 駅で集合したときから、私はとにかく、
「どう思われるだろう、やっぱりやめておけば良かったなんて言われないかな、
大丈夫かな」と、とてもそわそわしていました。
しかし、本音を聞くのが怖くて思うように会話が出てきません。
そんなことを繰り返しているうちに、
「私のお役目は宇治に同伴させていただくこと、それ以外は宇治に、
神に全托させていただこう」とやっと思えるようになりました。

そんな中、講話、講師の方々との面談、浄心行、
と行事が進むにつれてどんどん変化していく友人の姿。
会っていない期間に色々なことがあったんだろうなぁと思わせる表情が、
私の知っている学生時代の大好きなかわいい笑顔になったとき、
涙が出るほど嬉しかったです。

嬉しいのですが、それでもどこまで彼女の事情に踏み入ってよいのか距離感がつかめず、
全然しゃべることが出来ずにいました。私がそんな状態なことを知ってか知らでか、
友人の方から「実は…」と悩んでいたこと、思っていたこと、
宇治の好きなところをどんどん打ち明けてくれました。
その都度、すーっと心が軽くなっていき、
ついに私の中から伝えられなかった想いが溢れてきました。
私は、真理で繋がるという並々ならぬ幸福感を覚えました。

この話を講師の方に聞いていただいたところ、
「それはあなた自身が壁を作っていたけれど、
それが無くなっただけだね」とお話しをいただき、はっとさせられました。
大好きなはずの生長の家に囲いだけの“宗教”のフィルターをかけていたこと、
相手を信じず、勝手に不調和かもしれないというレンズを通して
見ていたことに気が付かされました。
大好きだからこそ、嫌われたくない、否定されたくない、
という我が出ていたことを知りました。私を信じてここまで来てくれた、
真っすぐな親友の愛を感じ直すことができ、本当に良かったです。

私はこの体験を通して、
自信を持って「人間は神の子である」という真理を体現する悦びの生活を、
唯々させていただくことが大切であることを実感しました。
色々頭で考えてしまいがちでしたが、そのままそれだけで良いという安心感、
間違いのない道標をくれた親友に心から感謝しています。

生長の家の活動を始めてから4ヶ月が経ちます。
両親や親戚が誰も生長の家ではないからこそ、
社会と生長の家との繫がりをより深めていきたい、
いろんな人にこの素晴らしい教えを知ってほしいと強く願ってきました。

その結果、外に外にと発信したがってきましたが、
先ずは、目の前にいてくれる家族、友人たちと悦びの伝播を拡げていくことが、
私が今させていただけるかけがえのない仕事です。

決意は、朝の神想観、使命を生きる祈りを毎日行います。
そして、朗らかに笑って私らしく生きます。


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