2000無我の祈りが教えてくれた、生活を輝かせる心の使い方

楽しく行ずる練成会感想

今回初めて「楽しく行ずる練成会」に参加しました。
プログラムを見た時、行の多さに少し怖気付いていましたが、
研修生として参加させていただくからには、真剣に受講しようと決心しました。
参加してみて、私の中で最も心に残った行事は伝道です。

伝道前の岡田浩二講師のご講話にもあったように、一軒、一軒、
気持ちを込めて伝道させていただこうと思っていました。
しかし伝道が始まる直前に、とてつもなく腹が立つ出来事が起こりました。
私はその出来事に対してのイライラが募り、心の中では怒りだらけでした。

行事が始まり、自分の中ではその気持ちを切り替えて一軒、一軒、
家を廻り、祝福礼拝しました。伝道先では普及誌を受け取って下さる家、
留守の家や受け取り拒否の家など様々でした。中には
「そんなもんムダやから帰ってくれ」など、なかなか厳しい言葉を言われた家もありました。
私は心の中で、「もっと優しく断ってくれたらいいのに」と、思いながらも祈っていました。

そして「大調和の神示」を何回か読んでいるうちに気付いたことがありました。
それは、自分では切り替えられたつもりでしたが、
まだ先程起こった件にイライラしている気持ちがあったことでした。
「せっかくこの家に住む方々が幸せになりますように、と祝福礼拝をしているのに、
こんな気持ちで訪問されても、そのお宅のご先祖様、
住人の方々は喜ばないだろうな」と反省しました。

そのことに気づいてからは、ただただその家に住む方々が幸せになりますように、
ということだけを考えて祈りました。前までは文言を唱える回数を気にして、
唱えるだけでしたが、回数は気にせず心を込めて祈ることに集中しました。
するとそういう気持ちになってからは、
どんな断られ方をしても嫌な気持ちになりませんでした。
普及誌を受け取ってもらえなくても、ただ幸福を祈るということが目的なので、
それが出来れば良し、という気持ちになっていました。

伝道が終わると、もうイライラしている自分はありませんでした。
人のために集中して祈ると、
こんなに清々しい気持ちになるのだなと改めて感じました。
自分の気持ち一つで、
同じ事柄でも受け取り方にこんなにも差があるということを実感しました。
途中からではありましたが、
人のために全力で祈ることができたことを嬉しく思いました。 

今回の練成でいかに自分の心が大切かを、実際に感じることができました。
これから研修生として日々過ごしていく中で、
一つ一つの行動をどのような気持ちで取り組むか、どのような心で生活していくか、
今一度考え直し、悔いのない日々を送りたいと思います。

行三昧の3日間でしたが、早朝3時からの神想観に参加出来たり、
心を込めて伝道が出来たりしたのは、
練成員の皆様と一緒に参加させていただけたから出来たことだと思います。


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