1946「苦しまなければ」の先に答えは無い そのままを生きてこそ“神の子”

幸福な結婚練成会感想

 参加動機は、仕事に対しての迷いがあった事と、主人をコントロールしようとしてしまう自分を変えたいと思ったからです。

分かった事は、現象の自分は偽りの自分だったということです。
だから悪いところを直そうとしなくていい、ただ実相を観て神の子の自分を認め、喜んで表現すればよかったんだという事が分かりました。 そのためには神想観をする事、毎日少しでもいいから続ける事が大切だと知りました。

良かった事は、浄心行で大声で父と母に「ありがとうございます」と言えたことです。
いつも恥ずかしさがあって、大きな声で言う事が出来ませんでした。
今回初めて岡田浩二講師の浄心行を受けましたが、講師がすごく大きな声で言って下さったので、私もつられて大きな声で言えました。

今まで父が生きていた時も、面と向かってまともにお礼を言えた事が無く、言おうと思ってもどうしても言えない自分だったので、浄心行で大声で何度も言う事が出来て本当にスッキリしました。霊界にいる父にしっかり伝わったように感じます。

その後から、「私は愛だ」「私は光だ」「私は勇気だ」「私は神の子だ」という言葉を素直に受け入れて、自分で言えるようになりました。

祈り合いの神想観でも、初めて「祈られる側」を体験しました。
穏やかで暖かい、とても居心地良い感覚に浸っていると、今まで私はたくさんの人に愛されてきたんだなぁと、思いました。
こんなに愛されている自分でいいんだ、愛される価値がある自分だったんだと思いました。
何故か自分は苦しまなければいけない、頑張らなければ愛を受け取ってはいけないと思っていました。
仕事でもお金を素直に受け取れない自分でした。
「私は本当にこの金額程の価値が提供出来ていないのでは」と思い、受け取る事を拒んでいる自分でした。

自分には価値が無い、だから頑張らなくてはならないと、思い込んでいた「私」はこの宇治に置いて行きます。これからは「神の子」として、喜んで生きていきます。


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