1794祈りと悦びは人を健康で幸福に導くのだと感じた

8月一般練成会感想文

 人の言葉や態度に引っ掛かり、心から「楽しい」と思う心を忘れていると感じ、
友達との旅行の約束をキャンセルし、参加しました。
祈ること、喜ぶことがどれだけ幸福かということに気が付きました。
これまでも、練成会、研修生を経て、三正行を知り、信じ、行じる機会を頂いてはいましたが、
今思えば自分の目的や目標を達成するための手段のような、
利己的で、不足の思いから行っていたものであったということが分かり、
振り出しに戻ったかのような心境でした。

しかし、神想観、聖経読誦、講話と行事を重ねる毎に、}
目の前に現れる数々の有難い出会い、笑顔、メッセージを心から嬉しく感じる中、
喜ぶことに忙しくなっている自分に気が付くと、それまで握っていた問題に対し、
どこか開き直ったかのような心境となり、今ではちっぽけなものであったと感じています。

 神様は本当に善き物しかお創りになっておらず、問題や悩みは自分で映し出したものでした。
そして榎本講師の「現象は新幹線の車窓から見える景色のようなもの、
馬の鼻先に人参をぶら下げたような状態では一生幸福になれない」という言葉から、
常に神様に導かれ、護られ、与えられていた自分を再確認させて頂きました。
そして気付けば冷え性だった手足がポカポカと温かく、
苦手な早起きも楽に行えていることがわかり、祈りと悦びは本当に人を健康に、
幸福に導くものであると感じました。

 これからは形にこだわり、捉われるより、まず人のために祈ること、
既に在る完全な世界を認め、感謝することに徹します。三正行の習慣がつかず、
自信をなくしかけていた私ですが、これからきっと水を飲むように祈り、
悦び、神の世界に飛び込むことができる。
いえ、既に幸福の真っ只中にいると確信しました。ありがとうございました。


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