1526食糧事情に恵まれた有り難さの自覚と霊界の父の悦ぶ姿の確信  

平成29年2月一般練成会体験感想文

 時間があり、本山の近くに住んでいるのに練成会に出ないのはもったいない。
少し無理をしてでも一般練成会に参加したい。
それと、よく長田講師が話されている一日一食もこの機会にやってみようとも思い
これが今回の練成参加の動機でした。

 本山の近くに住んではいても普段ゆっくり真理の話が聴けるわけでもなく、
自分の信仰姿勢がぶれてないかを確認する為にも練成に参加したいと思いました。

 講師の方々のご講話の中で「私の信仰姿勢ぶれてるなぁ」 と思う事が何度も有り、
「やっぱり練成に参加させて頂く事は本当に素晴らしいなぁ」 と改めて思いました。

 一日一食は練成に参加させて頂いた十三日の夜から始めて、お陰様で続いています。
昼食だけ食べていたのだけれど、昼食後の抗(あらが)い難い眠気には少々閉口はしましたが、
それ以外では頭はスッキリするし、集中力が少し高まったような気がします。 胃もスッキリしています。

 練成会中はあまり身体を動かす事が無かった為、苦にはならなかったけど、
十八日の一汁一飯の翌日の十九日、身体を動かす機会があり、動きながら猛烈にお腹が空いてきて、
「お腹空いたー」 とつぶやきながら、頭の中は 「こんなにお腹が空いても食料事情の悪い国の人は
毎日働いているんだー。 何キロも歩いて水を汲みにも行かなければ生命にさえ関るのだ。
私はお腹が空いたってその気になって手を伸ばせば食べる物を口に入れる事が出来るのに、
出来ない人もいる。 何て恵まれているのか。 食糧事情の悪い人達の食べ物を奪わない生活をしよう」
と心から思いました。

 今回、先祖供養の時、堀端宮司が父の霊牌を読んで下さった事に心から感謝します。
早くに亡くなっており、少し変わった死に方でもあり、死体は父の友人が引き取った為、
お墓がどこにあるかも解らず、写真もありません。
顔も覚えていない父ではあるけど、私にとっては、ただ一人の父であります。
何十年か前に夢に出て来た父はまだ眠っていました。

 私は宇治に来るようになった頃、永代に父を入れさせて頂きました。
何回か前の行の練成会の時、亡くなった母方の祖父がニコニコしながら
身体の大きな体格の良い男の人の手を引いてビジョンとして現れてくれた時、
「あぁ、目が覚めてくれたんだ、良かったー」 と思い、感謝の気持ちで一杯になったのだけれど、
心のどこかで 「向こうで困っていないか、苦しんでいないか」 との思いがあったと思います。

 名前を呼んでもらい、「あぁ、良かったなー」 と思い、「悟りに導く文」 の間、祈っていたら、
何処からか 「大丈夫だ」 との声が聞こえ、焼香が済み、『天使の言葉』 を読み出したら、
「心は悦んでいるのに何で私、泣いているんだろう」 と思いながら、涙が止まらず、
泣きながら聖経を誦げていました。

 涙は全て聖経の上に落ち、隣に座っていた方が心配して声を掛けて下さっても
「大丈夫です」 としか言えませんでした。 父が悦んでくれているのだと思うことにしました。
ありがとうございました。

 実相円満誦行の時、「全てが私の大好きな神の生命ならば、私の生命であるなら、
現象に何があっても、それは私の錯覚で、全ては神と一体で、私もあなたも無いのだ」
と気付いた時、心がスッと軽くなったような幸せな気分を持つことが出来ました。

 今回、練成に参加させて下さいました職場の方々、講師の方々、お世話になった方々、
ありがとうございました。 頭で物事を考えるのはやめ、伊藤講師のお話の
「六文の定やん」(※)のようにぶれない信仰を目指したいと思います。

 あと一日一食もどこまで続くかは不明だけれど、続けられるだけ続けてみたいと思いました。 柔軟に。




※ 藤原敏之著『そのまま極楽の道』156ページ
   日本教分社


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