1429, 高校時代の先生との再会は神縁だった

8月一般練成会体験談

 私は二年半前、一般練成会に参加させて頂き、両親への感謝の思いを深めることが出来、
真理を知る前には想像の出来なかった、嬉しく有難い生活を送らせて頂いておりました。

 そんな時、講習会で総裁先生の接待係りをさせて頂きましたところ、会場のロビーで、
高校時代に担任であった先生に偶然会いました。

 私は生長の家を全然知らない家庭で育ち、高校時代は真理を知りませんでしたので、
無気力、浪費、非行等、無限力を向ける方向が解らず苦しんでいました。

 学校では白い目で見られることが多く、とても寂しい思いをしていました。
このように学校、友達、両親、社会に厚い壁を作っていた私でしたが、その先生は
何故か気になる存在でした。

 しかし、先生の方から「お前、何かとても落ち着いたな。生長の家で心が変わったんだね」
と言ってくれて、気が付けば交際が始まり、結婚の話が出ていました。

 しかし私は相手を信じきることが出来ず、転勤が重なったこともあり、ほぼ直感的に、
そして衝動的に別れを切り出し、強く後悔しましたが、復縁をすることは出来ませんでした。

 それから五ヶ月間失恋によるダメージに加え、仕事中に支障が出る事が多く、
病院を受診しましたところ、鬱状態との診断を受け、二ヶ月間の休職となり、
私の兄弟にあたる流産児を永代供養したいという思いもあり、練成会に参加させて頂きました。

 また、休職中に総本山への奉職のお話しを頂いたこと、職場からは
復帰をしてほしいと言って頂いたこと、仕事と別に行っていた音楽の活動に
良い兆しが見え始めたことが重なり、これからの人生を考え直す時期だと捉え、
宇治に参りました。

 宇治に来ることが出来ただけでもとても嬉しかったのですが、四日目に突然私の感情が昂ぶり、
ふと別れた彼への執着心や怒り、不信感等の迷いの心が溢れ出し、直ぐに下山して
彼を攻撃してやりたいという思いが出てきました。そして思わず職員さんに帰りますと言いました。

 すると長田講師との面談で「お父さんとお母さんには感謝出来ているでしょう。
しかし、あなた自身に対してはどうですか?」と云われ、再び涙が溢れ出しました。

 「そうか、私は自分を自分の偏った条件や枠の中に抑え込み、
自己処罰をして生きてきたのだ」と気付きました。

 それから浄心行用紙に全ての感情を書き続け、それは二十枚以上にもなりました。
すると心が楽になり、「もう何も考えなくてもいいんだ。神様が全て一番良いようにして下さる。大丈夫」
と思うことが出来ました。

 そしてその直後に携帯を見たところ、見知らぬ番号からの着信があり、確認してみると
某テレビ局からバラエティ番組への出演のお誘いでした。

 その時はすっかり忘れていたのですが、高校時代の同級生がその番組に出演しているのを見て、
別れた彼の事をネタにしてやるくらいの軽い気持ちで応援していたのでした。

 そして、続けて九月に二つの歌のステージに出場することが決まり、
言葉や音楽で光を表現したいとの思いが浮かびました。

 その夜、練成を受けえている二人の中学生の夏休みの宿題を教えて欲しいと言って下さり、
一緒に見ていると 「そうだ、私は人に何かを教える、伝えることがしたかった」 
と思っていたのと同時に大学院への進学を諦めかけていたことを思い出しました。

 現在、九州の大学病院で精神科の看護師として働かせて頂いていますが、
そもそもこの病院に入ったのは、不登校、精神疾患を抱える人達の才能を引き出すお手伝いがしたい、
いずれは大学院でより専門的な内容を学びたいと思っていた為です。

 しかし、日々の現象に振り回され、神の子の自覚や夢、自信を失っていたことに気が付きました。
そして、何ともいえない、あったかい気持ちが湧き起こってきました。

 先祖供養を終え、その日が母の誕生日でしたので、感謝の思いを心を込めて伝えることが出来ました。
また、次の日の流産児供養大祭では宮司の方が私の兄弟の名前を呼んで下さり、とても嬉しく思った時、亡くなった姉と心が共鳴したように思いました。

 そして別れた彼が最後に言ってくれた言葉 「あなたはもう高校時代とは別人。
とても光り輝いているから自信を持って生きていきなさい。何かやる時には、私は大丈夫。
絶対出来ると思いなさい」 という言葉を思い出しました。

 きっと彼は私の神性を引き出し、自信を持つために現れてくれた観世音菩薩なのだと、
とても有難く感じます。

 これからは何事が起こってこようとも移り行く景色と捉え、魂の生長を喜びながら、
ただ目の前の人のお役に立てる生活、光を広げる毎日を歩んでいきたいと思います。


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