1369“行”を通して得た二つの尊い気付き

楽しく行ずる練成会体験感想文

  “楽しく” というタイトルに惹かれ、また、とことん行じてみたかったので参加致しました。

様々な行を体験させて頂き、二つの気付きを得ることが出来ました。

 一つは、二日目の祈り合いの神想観の時、私は祈る側だったのですが、
ただただ“実相”を観じ、祈らせて頂こうと念じておりましたら、
ふっと遥々と広がる大海原に太陽の光がサンサンと降り注いでいる光景が
今までよりクリアに広がり、 “あぁ、これが実相世界か、リアルだなぁ・・・” と思っていたら、
障子越しに外からの太陽の光がスッと差し込んできて、何とも言えない気持ちになりました。
すると何処からともなく “実相世界に不可能はない” という言葉が響いて
更に私の胸を打ちました。
半信半疑ではいけない。やはり100パーセント可能だと思い、
信じきることの重要性を再び念押しされたような気がしました。

 同じく二日目の浄心行では何故か母に感謝したくても出来ない自分がいて、
そんな自分に嫌気も差していたのですが、今一度母の立場に立って考えてみようと思い、
そうした瞬間にじわじわと色々な想いが込み上げてきました。

 本当に色々な面で苦労を長年に渡り経験し、自分の事だけでも精一杯だったはずなのに、
その上、初めてとなる子育てをするというのはやっぱり大変だっただろうなぁ・・・と思い、
いつもならこの辺りまでの部分しか考えられなかったのですが、
余裕がなかったのだという言葉がどこからともなく湧き出て、
その言葉が私の心の空白を埋めてくれ、はっと気付きました。

 余裕がない状態の中で、でも母自身一所懸命家の事、外の事、
そして子育てもしている。そんな時に子供である私から吐かれた
マイナスの言葉を浴びた時、どれほど辛かっただろうと思うと、
もう涙が止まりませんでした。

 今まで私は “親だったら何でもっとこう出来ないの?大人なのに” と思ってしまう癖があり、
裁いていたのですが、これは大間違いで、如何に自分が自分の立場でしか
物事を考えていなかったかを痛感させられました。

 母も人間。余裕がない時だってあるんだと思えた瞬間、心がスッと楽になった気がしました。
また、全ての親は自分の子供の幸せを心から願い、育てているんだ、
それは自分の親も自分以外の親も同じなんだと気付いた時、
今まで職場で合わなかった人に対してダメと解りつつやはり裁いてしまう自分がいたのですが、
それは「その人だけではなく、その人の親も裁くことになるんだ」
「私が裁いていることをその人の親が知った時、どう思うだろうか」と思うと、
いくらその人やその人の親に直接は聞こえなくても、私の心の力で
バッサリ傷付けていることになる・・・だからやっぱり人を裁き、
人の悪口を言うことはいけないんだと心の底から感じることが出来ました。
何か自分にとっては大切なことを気付かせて頂いたように思います。

 今回、私にとって大きく二つの気付きを頂きましたので、
気付いたからには過去の自分に振り回されず、しっかり楽しく行を継続させ、
「気付けば行じることは自分の生活の一部になっていました」と言えるようになりたいと思います。









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