直接の参加動機は長男夫婦の不調和ですが、毎年数回参加していた宇治の練成に
今年は来れないでいました。
有り難い事に今週、休みが取れて実現しました。やっぱり宇治の練成は素晴らしい!
16日の朝着いて直ぐの榎本一子講師の講話の中でいきなり
「ナイものはナイのですよ。あるのは実相だけです。
自分の心が現象に振り回されて動揺していると、家族の心も動揺します」
の言葉にハッとしました。やはり私の問題だったのです。
嫁は小さい時別れた父親を許せない悲しさ、辛さ、愛されていなかった、愛して欲しかった
という気持ちを夫である息子にぶっつけ、息子も受け入れられず、ぎくしゃくしていました。
私が想像出来ないほどの悲しさ、辛さ、反抗の気持ちを嫁は誰かに理解して欲しかったのだ。
夫にも分ってもらえず、悪態をついていたのだ。
翌日、長田講師の個人指導で
「どんな人をも許し、愛しなさい。あなたの内にある神の愛を出すのが人生の目的ですよ」
と教えて下さいました。
私は 「あんなに可愛がってあげたのに、どうしてそんな事をするのだろう」 と、
息子と同じ気持ちで嫁に不満を持っていたのですが、私が間違っていました。
愛を充分出していませんでした。
「宇宙に広がる神の愛を本来神の子人間は持っている」 と教えられているのに、
出し惜しみしていました。 許し、大きな愛で息子と嫁を包んであげようと思いました。
翌日、長田講師が 『菩薩は何を為すべきか』 第四条の
「一切者の自覚」(22~24ページ) の箇所を引用されました。
「全ては私の責任である」
頭をハンマーで打たれたようでした。
私が長男夫婦の現象に囚われて、円満完全なる神の子の実相を拝んでいませんでした。
陰陽調和で神様から選ばれて結婚したのに、何と申し訳ないことをした。
ごめんなさいと息子達に心で謝りました。本当は大調和している夫婦なのでした。
もっともっと周りの人に愛を出してゆこう!
慈しみ、大きな愛で包んであげられるようになりたい。
私の内なる神の愛を、家族、周りの人達に出してゆく努力をします。
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