1100今は亡き実母の供養の後、疑問が晴れ、
         不思議な喜ばしい気持ちが広がった!

12月大浄心のための一般練成会 発表日:H26.11..20

 私は交際相手とのトラブルにより、乱れた自分自身を見つめ直すため、
また生長の家の教えを深く学ぶために研修生となるべく、
今回の一般練成会に参加させて頂きました。

 自分自身の研修生になるという意志で今回の練成に参加したと思っていたのですが、
12月11日の長田講師の「現象本来無し」の講話の中で、
「病気は偉大な生命が迷いを消すために身体に表出させて消そうとする自壊作用だ」
との言葉を聞いた時、何故かふと「今回のトラブルは自分の生命が自分の迷いを消すために
自分に起こったのではないのか?」
との思いが広がり、その迷いの心を消す為にこの
宇治別格本山に導かれている気がしてなりませんでした。


 そんな何とも言えない不思議な感覚を抱いたまま、楽しい練成の日々は過ぎてゆき、
12月15日の浄心行用紙記載の時間の事でした。

浄心行は何回か受けた事はありましたが、正直足が痛いという感想しか持ったことはありませんでした。

この日も何も考えず、いつもどおりに自己劣等感に満ちた文章を用紙に並べていた時、
母から 「あんたの色々な事がいつもうまくいかない理由は、あんたの産みの母親との関係に
あると思うから、今回宇治に行ったらそこを見つめ直してみなさい」と言われていた事を思い出しました。

 私には産みの母と、育ての母の二人の母親がいます。
先ほどのアドバイスは私の育ての母親からのものです。

 私の産みの母は、私が小学二年生の時に出刃包丁で胸を突いて亡くなりました。
私が鮮明に覚えていることは風呂場に置かれていたバケツに入った赤黒い血か肉の塊と、
血に染まった出刃包丁です。

 私は義母の言葉に従い、途中から産みの母についての事を書き出しました。
正直、産みの母親の事については、それほど書く事はないと思っていましたが、
書き始めると、突然訪れた悲しみにどうしていいか分らずに泣いていた事、
生母がいないために色々な寂しい思いをした事が段々と思い出されてきて、
同時に当時の感情も込み上げてきて、用紙を書いている時点で涙が溢れてきました。

 書き進めていると、いつか父が 「お前達(私には妹が一人います)の手前、
生母の事は今でも赦せない」 と語っていた事を思い出し、
父に練成へ参加してもらおうと思い付きました。

 私の父は忙しい人間で、仕事以外にボランティアなどで1~2ヶ月先の予定まで
埋まっていることが多いので、どうせなら一番暑く寒くもない季節に少しでも参加してもらおうと思い、
宇治に長くいる方にいつが良いのか尋ねてみようと決め、浄心行用紙の記入を終えて、
長くいてそうな方を探しに行きました。

 すると乾燥室に祭司部の清水講師がいらっしゃったので、先ほどの質問を清水講師にしたところ、
次のような答えが返ってきました。

「お父さんは関係ないんですよ、お父さん、お母さんは偉大なる存在です。
神様です。ありがとうございます!これだけでいいんですよ」


 この答えを聞いた時、私は自分を含め、家族が生母の事を話す時に必ず「許す」という言葉を使う、
つまり、無意識の内に生母の事を許されなければならない存在、と下に見ている事に気が付きました。
同時に 「母親とはそんなに許されなければならない存在なのか」 という疑問と、
「しかし、自ら命を絶った母を無条件に〝ああ、素晴らしい存在だ″と心から思い、感謝出来るのか・・」
という疑問が頭の中をぐるぐる回り始め、気が付けば浄心行が終わっていました。

 今回、一つの大きな気付きがあったので、少しはスッキリするかも・・・
と多少期待して臨(のぞ)んだので、いつも通りスッキリしない浄心行で、
正直ガッカリしました。

 ところが、不思議なことに、次の日、起きてみると、なんだか気持ちが晴れやかで
どういう訳か嬉しい気持ちが広がっているのに気が付きました。


 神想観し、瞑目している方が明るさを感じます。
正直、よく理由が分からないまま、十二月十日の笑いの大会を迎えました。
笑いの大会には実はあまり良い思い出がありません。

 初めて宇治の一般練成会に参加した十七年前の十九歳の時、自信満々で臨んだ私でしたが、
両隣の方が入賞して自分が入賞せずに、ふてくされて食堂で楠本先生に
「浄心行したけどムカムカするんですがどうしたらいいんですか?!」
とくってかかるバカな事をしたこと、今年九月に一緒に練成を受けていた職員のTさんという方が
無理やり参加させられたこと・・・お陰でこの時の練成会で初めて泣き笑いでしたが、
笑えるようになったのですが・・・実は三ヶ月前の一般練成会に九月十四日から参加した私は、
この日まで笑いの練習の時は全て会場から逃げ出していました。
この時は全く笑えず、笑うのは苦痛で仕方なかったのです。

 人生で三度目の笑いの大会に、よく分からないけど嬉しい気持ちのまま臨んだ私は、
とりあえずこの嬉しさを全力で弾けさせようと決め、大会に臨みました。
結果は初めての入賞、しかも二位を頂きました。
自分では努力賞と考えています。
何しろ一位の方は後から聞いたら世界平和の事を考えながら笑っていたそうなので、
とても敵わないなと思いました。

 丁度その頃、私は最後まで声のボリュームが落ちない司会の田野さんや片岡さんに驚きつつ
「負けるかー!」と、根性のみで笑っていましたので、司会の方々の側は大変と、
この時初めて気付きました。

 自分の何だか嬉しい気持ちが続いていることについては、今でもその理由はよく分かりませんが、
清水講師から「あなたの悦びが、ご両親の悦びなのですよ」と言われた事を思い出し、
深く追求はせず、ただただ悦んでいることにしましたが、自分の奥底に押し込めていた
生母の事を引っ張り出した事で、気持ちが少し楽になったのかなと考えています。

 そして、ここに導かれたのも、生母や私の水子を含めたご先祖様達からではないかなと
今は思います。

また、ここまでの体験が出来たのも、長田講師をはじめとする先生方の熱のこもったご指導、
練成を支えて下さった全ての方々の熱意、それに一緒に参加されていた全ての方々の
ひたむきな姿勢があったからこそと観じています。

 皆さん、本当に有り難うございました。この練成後、私は意地でも研修生となり、
真理の研鑽を通じて自分の内に広がる悦びを深め、更にこの悦びを一人でも多くの人に
伝えたいとおもいます。


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